令和2年7月29日開催予定、「人工呼吸器を知り、考える」をテーマに人工呼吸器の基礎に関して、ご登壇頂く、埼玉医科大学総合医療センター、集中ケア認定看護師の青柳匡先生にお話を伺い、青柳先生の看護観や教育に対する想いについてお話伺いました。
『ベッドサイドで求められるのは、思考のプロセス。』
ー今回、セミナー講師をお受けいただきありがとうございます。研修会の前に青柳先生の人柄を皆さんにも知っていただきたい思い、お仕事に対する想いや考えなどお話をお聞かせいただければと思います。よろしくお願いします。
青柳匡先生(以下、青柳):よろしくお願いします。
ー先生が働く中で、後輩看護師にこのようなところを見てほしい、このような意識でケアをしてほしいということはありますか。
青柳:この領域は対象が重症患者さんになりますから、どうしても難しい看護や難しいケアというイメージを持ちやすく、うちのスタッフも最初はそういう形になります。
しかし、とにかく基礎看護技術がきちんとできていなければ、やはりこういうところでケアへの応用ができないと思います。
今はいろいろなところから情報を得られるため、いろいろな情報を取ってきて、それをベッドサイドで実践しようとしてくれます。
それはとてもいいことですが、その前に基礎的な看護技術をまずはしっかり覚えて、基礎看護技術が十分にできるようになってから、難しい看護や難しいケアへ応用していくことを若いスタッフに言うようにしています。
青柳:自己学習はうちのスタッフも一生懸命してくれます。他の施設でも、やはりこのような領域に入ってくる子は意欲のある子が多いですから、ある程度ベースとなる学習をしてくれます。いつも必ず言われるのが、ベッドサイドでその自己学習が使えないということです。どこでも同じ悩みを抱えているではないかと思います。意欲もあり、よく勉強する子が、ベッドサイドで知識をどのように使えばいいか分からないのです。ある程度うちで経験を積んだ看護師などに話を聞くと、必ずそれを言います。
青柳:僕もそういう話を聞くことが多くなり、なぜなのか、自分のときはどうだっただろうと考えました。自己学習は必ず基本となる知識の部分ですから、とても大事です。
もちろんうちのスタッフにも必ずベースを学習してもらいますが、言ってしまえば、自己学習の部分とは病態や合併症等の暗記作業です。その一個一個のものを覚えているだけで、そのつながりを知ることは自己学習に求められません。
そのため、学んだことをベッドサイドでなかなか生かせないのかもしれません。アセスメントなどと言いますが、ベッドサイドで求められる力は思考過程だと思います。その思考のプロセスは自己学習に求められません。
しかしベッドサイドに求められるものは思考のプロセスなのです。どうしたらこの能力を身に付けられるか、このスキルが磨けるか、うちのスタッフや師長とも昔よく話していました。そこで、うちで始めたのがベッドサイドのウオーキングカンファレンスです。
ーウォーキングカンファレンスなど小さなカンファレンスは一般的に行われているかとも思いますが、どのようなことを意識されて取り組まれていたのですか?
青柳:今その患者さんは何が問題なのか、きょうの自分はそれに対してどういうケアを展開していくのか、受け持ちの子が皆に話す場もなく、皆でディスカッションする場もありませんでした。
そのため、まずウオーキングカンファレンスを定着させようと、最初は看護師から始めました。
徐々に医師を巻き込み、今はリハビリスタッフさんや栄養士さんなどにも1日1回は必ず集まってもらいます。
午前中に皆で集まって、まず受け持ちがその日に在室になる患者さんのプレゼンテーションをしてから、皆できょうは何をしていこうかと話し合います。
1日の終わりに必ずもう一回集まって、その話したことに対して実際に行ったケアがどうだったのか、その結果はどうだったのかを必ず評価するようにしています。
ーでは、まず多職種を交えて『話し合う場の準備』ということを意識的に行っていったということですね。
青柳:そうですね。
この取り組みを始めて数年経ったでしょうか。
最初にお話ししたアセスメントの部分、つまり自己学習はしているけれども、それをベッドサイドでどう展開していいか分からなかった者が、自分の持っている知識を基にどうアセスメントをしたらいいかを人に話すことで、自分に何が足りないか、もう一回気を付けるようになったと思います。
ー自分の考えを言葉にして伝えることで、整理ができ、理解が深まるということですね。
青柳:はい。
また、参加しているスタッフも他人のアセスメントの思考過程を聞くことで、こういう患者さんはこう考えればいい、こういうケアの組み立てをすればいい、病態はこのようにつながっていくと学習できます。
参加する側も、プレゼンテーションする側も、そういう学習効果を得ることも期待して始めましたが、アセスメント力を身に付けることは徐々に現場で定着してきたように思います。
青柳:自己学習は自己学習として、この領域では、ベッドサイドで得た経験値を知識に変える作業が特に大事だろうと僕は思っています。その作業は、ウオーキングカンファレンスを基に行っています。アセスメントと言うのは簡単ですが、アセスメントできないことが必ず現場の悩みになってきます。
よその施設の方がどのように取り組んでいるか分かりませんが、自分たちの実感として、ウォーキングカンファレンスに取り組んできて良かったと思っているところは多いです。
いろいろなことをスタッフと話す機会にもなります。
『自分たちの看護でなるべく成功体験を。』
ー毎年、新しい看護師の方が入職されると思います。ウオーキングカンファレンスに取り組みによって、その方々の成長の速度が変わったといった経験はありましたか?
青柳:必ず効果が得られるとは一概に言えません。それで効果が出てくる子もいれば、やはりそうではない子もいるかもしれないと思います。
もともとうちの集中治療室は新人をあまり採用していません。他の病院から希望で入ってくる方がかなり多いです。
一般病棟をきちんと経験し、基礎的な看護技術等を得てから集中治療室に来てくださいというのが、うちのICU、病院のシステムです。
青柳:ただ、現在の救命棟が建って、一気に増床するなど、新人を受け入れなければならないタイミングという時期が何年かに1度ありました。そういうときにはもちろん、一(いち)から育てますから、足並みはそろいます。
しかし、そうではないスタッフは、ここに来るまでの経験や知識がばらばらですから、そういう子たちとウオーキングカンファレンスだけで簡単に足並みがそろうことは少ないです。きちんと身に付いている人もいれば、そうではない人もいますし、ここは難しいところだと思います。
ー看護が業務化し、単なる繰り返し作業になってしまっている人もいるのではないかと思います。そういう人もこの部署に来ることで、アセスメントの仕方やアセスメントとは何かをしっかり学んで成長している部分があるということでしょうか。
青柳:それを目指している感じです。
ですから、一般病棟を長く経験された方がこういうところに来たときに、悪くすると何が看護か分からない状況に陥ることもあります。恐らく手術室も一緒だと僕は思います。
その中では、看護とは何だったのだろうと分からなくなることがあると思います。
青柳:ただ、この領域だからこそ、治療的な側面に入っていく必要があると僕は思います。病態が読み取れなければ、どういう看護をしたらいいかというケアの選択ができません。病態の読み取りとアセスメントは大前提として必要です。
それが一般病棟と違うところだと思いますが、そういったところをなくして看護だけを見つめてしまうと、この中の看護とは何なのかが分からなくなるスタッフはやはり時々います。
自分たちの看護でなるべく成功体験をさせてあげなければ、この中での看護師としての充実感、達成感が見えなくなってしまうかもしれません。それが難しいところだと思います。
ですから、カンファレンスや1日の振り返りを行い、そこでケアした結果や成功体験を皆で共有しようという考えもあって始めました。
ー確かに、1日の変化はそれほど大きくないかもしれませんが、小さい積み重ねでも変化したことや、あなたの行った看護の意味はこういうことだときちんと評価してあげることは大切ですね。
青柳:そうです。きょう、自分たちのしたケアが良かったかどうか分かるときは、患者さんはICUにいません。それがこの領域の難しいところだと思います。
ー経験を知識に変えるには、少しの変化もきちんと評価して1日を終えることが大切ですが、ケアの結果を実感する機会が少なくなるため、それを共有することで強化しているということですね。
青柳:そうです。
ーカンファレンスの時間は、どれくらい行うのですか?
青柳:タイマーをかけて、きっちり5分です。
ただ盛り上がると5分で終わることのほうが少なく、どうしてもはみ出してしまいますが、そこは犠牲にできません。
せっかく議論する場があって、皆で考える習慣が付き始めているところです。時間だからやめようとはできません。どうやればその時間が確保できるだろうか、要らない業務はどれだろうか、何を捨てればいいだろうかと考えています。
ー1日の終わりのときも5分で評価するのですか。
青柳:勤務の終わりのときは一人一人の患者についてというよりも、集まったスタッフで、「きょう1日どうだった? どのような気付きがあった?」「カンファレンスでも話が出たけれども、きょう1日、看護してみてどうだった?」と振り返ります。
ウオーキングカンファレンスも、1日の振り返りも、その日の業務リーダーを中心に行いますが、1日の振り返りのときは挙手制で行います。
『ターミナルの患者さんを見ていたときの経験のほうが、いまだに根強く影響しています。』
ー先生が看護してきた中で、思い出に残っている出来事はありますか。また、認定看護師になろうと思ったきっかけになった出来事があれば教えてください。
青柳:もともと僕は集中治療室を希望していましたが、この病院に来てから集中治療室に入りました。
必要なことを自己学習レベルで学んでいても、自分が人に教える立場になったときに根拠を持って物を十分に教えられないという教育的な側面と、他人を巻き込んでするとなると何かしらの看板が必要なことを考えて、集中ケア認定看護師を目指しました。
集中治療は15年ぐらいになりますが、このクリティカルの領域に入る前に2年間だけ、一般病棟で勤務していました。そのときは消化器外科でターミナルの患者さんも一緒に見ていました。
青柳:看護師としての看護観をよく質問されますが、むしろターミナルの患者さんを見ていたときの経験のほうが、いまだに根強く影響しています。
そこで患者さんと話し、患者さんの病気に対する思いに触れ、看護師とはそういう仕事なのだという思いが自分の中に芽生えたといいますか、むしろその経験ゆえに、もっとしっかり重症患者さんを見られるようにならないといけないと思いました。
以前いた病院には、これほどしっかりとした集中治療室はありませんでしたから、集中治療室を担当させてくれと、この病院の門をたたいたような形です。
前の病院では、手術後の患者さんももちろん見ていましたが、ターミナルの患者さんと触れ合う機会が多く、長く触れ合ううちに患者さんの部屋でいろいろなことを聞きました。
どういう不安があるのか、今後のことはどう考えているのかなどを話していた2年間のほうが、僕の中で未だにとても根強く残っています。
ー印象が強いですか。
青柳:うちのスタッフにもよくその話をします。
ここは救命目的の患者さんが来ています。救命が優先されるからこそ、そこが希薄になってしまうのはやむを得ない面もありますが、看護師はそこが希薄になってしまってはいけないと、いつも話しています。
ですから、看護観や、看護師として何か考えを揺さぶられた経験は、むしろターミナルの患者さんと接していたときの印象がいまだにとても強いです。
青柳:経験を得て、最初にターミナルの患者さんに触れて、看護師の仕事はこういうことなのかと感じました。
便利な言葉で、患者さんの話を傾聴する、患者さんに寄り添うという言葉を看護師はよく使います。うちのスタッフもレポートや何かに必ず書きます。
しかし寄り添うとは何だろうとなったときに説明できるようになるには、やはりああいう経験がないとできなかっただろうと思います。
青柳:僕は、患者さんがどういうことを考えているのか、家族はどういうことを考えているのかという経験を持って、この領域にたまたま入ることができました。この領域で少しは患者さんと向き合えるきっかけが、ターミナルのときにできたのかもしれないと思います。最初から集中治療室に入っていたら、そうなれなかっただろうと思うところもあります。
むしろ新人で入ってくる子たちにはそこがとても難しくて、優先されるものを勘違いしてしまうのかもしれません。技術、スキルが全てになってしまう子、頭でっかちになってしまう子が多いです。一(いち)患者さんと向き合うとはどういうことなのか、どうしても伝わりにくくなってしまうのがこの領域の難しいところだろうと思います。
ー経験するのは難しいですよね。
青柳:そうです。
ただ救命目的なので、しょうがないと思うところもあります。何よりも患者さんを救命する目的が集中治療室にはありますから、それを優先すべきという頭はもちろん僕にもありますし、知識、技術、スキルが優先されるのはとてもよく分かります。
しかし、一(いち)患者さんと向き合うとなったときにどう考えたらいいのか、そこが難しいのです。
それこそ、この領域でもよくある身体拘束の問題や、倫理的な問題、そういったところがおろそかになってしまうのは良くないと思います。しかし、あの2年の経験がなかったら、患者さんと向き合うとはどういうことなのか、僕の中でもきちんと整理できなかっただろうと思うときもいまだにあります。
―貴重なお話ありがとうございました。
講師プロフィール
青柳 匡氏
所属:埼玉医科大学総合医療センター勤務
役職:主任
資格:呼吸療法認定看護師/集中ケア認定看護師
経歴
2003年 北里大学メディカルセンター病院 消化器外科勤務
2005年 埼玉医科大学総合医療センター 集中治療室 勤務
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